リセッット

人生をリセットできたら、と思ったことはありませんか?

ええ、私にはありました。そりゃね、長く生きていれば、あの時、あの選択をしていたら、と思うことの方が多くなります。
歳をとればとるほど、選択枠だって狭くなってきますし、冒険とか、決断とか、そういったことに対して、臆病になるものです。
ですから、私の答えは、勿論『YES』でした。特にあのことがあってからは、それを随分悔やんだものです。

ある日、夢の中で、ひとりの男に問いかけられました。
「人生をリセットできたら、と思ったことはありませんか?」
「勿論ありますよ!ええ。あります。」
「・・・そうですか。ではリセットボタンを差し上げましょう。」
「リセットボタン・・・?」
「今、あなたの額にあるボタンがそれです。それを押すことによって、今までの人生がリセットされます。始まりは選択できませんが、うまくやればやり直しができますよ。」
「・・・?!・・・これか?」
「そうです。よく考えて使ってみてください。他の方には見えませんからご安心くださいね・・・。」

朝起きて額に手をやると、何かボコッとしたものが手に触れました。鏡で見てみると、私の額には小さなボタンが付いていました。
「夢じゃなかったのか?!これが・・・リセットボタン・・・?!」
何度見ても、ボタンは額に存在します。触ってみても、それは実感でき、本物だということがわかります。
とりあえず、髪の毛で上手く隠しながら、寝室からキッチンに行くと、妻が待ち構えていました。
「ちょっとぉ!ご飯炊けてないじゃないのよぉ!どうすんの?!」
「ご、ごめんよ。昨日遅かったから忘れちゃって・・・。」
「ハァー。そんなんじゃ困るじゃないのよ!」
「ゴメン。今すぐ用意するよ。」

ボタンを気にしながら、私は朝食の準備を始めました。今となっては、妻に頭が上がらない状態の私には、このような日常は当たり前でした。
妻と婚約してすぐ、車で人身事故をおこしてしまった私は、それから人生が変わってしまいました。
莫大な慰謝料を請求され、何も知識がなかった私は、臆病な性格が後押しして、被害者と口約束をしてしまい、裁判でうまく弁護ができず、本来なら払うことのない慰謝料が成立してしまったのです。その慰謝料の額は、とても私の安月給で払っていけるものではありませんでした。
彼女は広告代理店で働いており、結婚してから退社するはずだったのですが、慰謝料を払っていかなければならなくなってしまったので、引き続き仕事をすることになり、今では、業界でひっぱりだこのウェブデザイナーになっていました。彼女の給料は、私の給料よりもはるかにいいですし、フリーでやりこなしている今、その大半を慰謝料に当ててもらっているので、文句は到底言えないのです。

『嗚呼、あの事故さえなかったら・・・。』
「また、そんなため息、朝からつかないでよ。何の文句があるの?」
「いいじゃないの。慰謝料だって、私の給料があれば、それなりに払える目処がついてるでしょ?!」
「そ、そうだね。ほんと感謝してるよ・・・。」
そう言うしかありませんでした。

そうやっていつもの朝が終わり、会社に出勤すると、同僚が声をかけてきました。
「あれ?鈴木さん、どうかしたの?」
一瞬、私の顔から血が引くのがわかりました。サササッ、と手で前髪を下ろしていると、
「いつもと髪型が違うからさー。何?イメチェン?」

どうやら本当に額のボタンは、他の人には見えないみたいでした。特に不自由はないのですが、気になって仕方ありませんでした。まるで、この箱は開けちゃ駄目よ、といわれて、目の前に箱を置かれている気分でした。
落ち着かないまま、家に帰ると、いつものように妻はいませんでした。
最近、新しく会社に入った若い部下とよく出かけるようになりました。勿論、私には何も言えませんでした。一度、やんわりと聞いたことがあるのですが、すごい目つきで睨まれ、それからは口に出すことはありませんでした。

そんな時、決まって昔のことを思い出すのでした。
『そう言えば、あの頃は良かったなぁ・・・』
私は当時、大きなプロジェクトを成功させるべく、妻が勤めている代理店に何度か足を運んでいました。
妻は美人で、周りに一目置かれるような存在の女性でした。初めて会社を訪問したとき、彼女を一目見て、高値の花、という言葉は、彼女の為にあるのだな、と思ったほど衝撃的で、そしてそのままひとめぼれしてしまったのでした。
プロジェクトが大詰めになり、最後の打ち合わせの時に、代理店を訪れると、いつものように彼女が出迎えてくれて、緊張した面持ちの私に、
『お疲れ様です。契約頑張ってくださいね。』
と、微笑んでくれたときほど、幸せだ、と思ったことはなかった記憶があります。

それからというもの、あれやこれやといろんな手をつかって、当時ボーイフレンドがたくさんいた彼女の、その中の一人に、やっと入れたのでした。
そして、立場もわきまえず、思い切ってプロポーズしたところ、そのプロポーズの言葉が彼女にウケてしまい、とんとんと結婚まで話が進んだのでした。

『あの頃は、いろんなことが上手くいってたなぁ・・・』
今は、窓際族のように、会社の隅でぼそぼそと仕事をする日々を送っている自分がみじめに感じました。
『あの事故さえなかったら。あの事故が私の人生を変えてしまったんだ・・・。』

チラリと昨日の夢が脳裏をかすめました。本当なんだろうか?本当にリセットできるのだろうか?
おもむろに席を立ち上がり、ビルの屋上へと向かうエレベーターに乗り込みました。
屋上に着くと、なるべく人に見られない柵の近くに移動し、空を見上げて、大きく深呼吸をしました。柵に手をかけると、バタバタっと近くに止まっていた鳩が飛び立っていきました。

『このボタンを押したら・・・。私もあの鳩のように、自由になれる・・・』
吹き上がるビル風で、前髪がフワッと浮き上がりました。そして私は、額に手をやり、静かにボタンを押しました。





【テイク:1】
「おい!例の資料はできてるんだろうな?今日はヘマできないぞ!このプロジェクトを成功させたら・・・」
そうだった、今日は前々から詰めていたプロジェクトの最終打ち合わせ日。これが終わったら・・・これが成功したら・・・彼女に告白するんだ・・・。
ピリピリと額がうずめいたような気がした。 が、きっと、極度の緊張のせいだろう。
そして今日こそは、言うつもりだ。
『こんな僕ですが、君と一緒にいると僕が幸せなので、結婚してください!』

どうやら記憶までもリセットされてしまうらしい。





【テイク:2】
軽い眩暈がした。
と、同時に、柵にかけていた両腕がフワリと宙に浮いた、のではなかった。
正確に言うと、次の瞬間、柵が外れて、私はビルから重力に逆らうことなく、下へ、下へと落ちていた。

薄れ行く意識の中で思った。
『そうか、こういうのもありか。結果はリセットだものな・・・。』



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