朝になり、普通に目覚め、真っ先に朝日の中で鏡を覗き込んでみた。眼球は色を取り戻し、目の下のクマは、きれいさっぱりなくなっていた。
また、元の生活に戻ってしまった、という気が漠然とした。
そういえばテスト中だったのに、結局勉強も何もしていない現実に気づき、慌てて家を飛び出した。
テストが始まる前に少しでも脳みそに入れ込もうと、休み時間になると教科書を片手にノートとにらめっこをしていた。朝からこんな調子でせっぱ詰まっていたせいか、あまりにも集中していて、瞬きをするのを忘れていた。
あと一科目、というときの休み時間のことだった。一瞬、視野がグラリと揺れたような気がした。頭がガンガンと痛くなってくる。目が疲れたせいかと思い、こめかみのあたりを指で揉んでみた。
グググッと瞳が動く感じがした。あっ、と思った時には、もう左目はその位置になかった。音もなく外れ落ちた左目は、私の膝の上でぴくりとも動かず、留まっていた。
そんな状況でも私はやけに冷静だった。うつむいたままポケットからハンカチを取り出し、そっと左目を包み込むと、静かに席を立ち、友達に具合が悪いから保健室に行く、と告げて、足早に教室を去った。
保健の先生に、具合が悪いので少し寝かせて欲しいと言い、暫く静かにベッドで横になっていた。気持ちが逸る。不安な中でも私はまた、左目が外れてくれる ことを期待していたからだ。昨日部室で覗いた光景。私は鈴木君のことを、また、あんなふうに見てみたいと思ってしまっていた。
テストが終わる前に、部室に行かなくては。
保健の先生にやはり具合が良くないので早退したいと告げると、顔色が良くなかったせいか、先生もそうしなさい、と言ってくれた。もうテストが始まっているから担任の先生に伝えてもらうことにして、そのまま早退することにした。
私は教室に荷物を取りに行くこともせず、下駄箱に向かうわけでもなく、人目を避けながら、サッカー部の部室へと急いだ。ちょっと埃っぽい部室には、誰も居るはずもなく、少し散らかってはいるものの閑散としていた。
私は昨日のことを思い出しながら、椅子を動かしてロッカーの前へと移動させた。
たしか、この辺りだったな・・・、そういって隠しカメラを仕掛けるかのように位置を確認し、左目をそっとロッカーの上に置くと、何事もなかったかのように部室を後にした。
そろそろテストも終わって、サッカー部は放課後の練習に入るだろう、という時間になっていた。
家路を辿りながら、瞬きをするたびに、別の光景が頭の中を一瞬フラッシュバックする。瞬時に目の前で切り替わる世界に、眩暈を隠せないまま、なんとか家へと辿り着いた。
母はまだ帰ってきていない。自分の部屋に入り、制服を着替えて、ごろりとベッドに横になった。
天井を暫く見つめていた。このまま深く瞳を閉じれば、またあの光景が目の前に広がる。そんな当たり前でない事実が目の前にあるというのに、私はとても冷静だった。
壁にかかっている時計にちらりと視線を移す。辺りはほんのり暗くなってきていて、そろそろ部活も終わりの時刻に近づいていた。
私はそのままベッドの上で、ゆっくりと瞳を閉じた。暗闇は一瞬でグワッと眩しいほどの明かりが私の目の前に広がった。
部室の扉が開いた。ぞろぞろと部員が汗で光った顔をしながら入ってくる。匂いはしないけれど、匂いが見えるような気がするほど、熱気が瞳を通して伝わってきた。
疲れた顔をした鈴木君が視野に入ってきた。ドクリと心臓に血が流れた。逸る鼓動を抑えつつ、私はじっとそのまま彼を見続けた。
しばらくすると、川口君が鈴木君の近くに寄ってきて、白い封筒を見せた。鈴木君の表情が一瞬変わった。小さくてよく見えないけれど、可愛らしいピンク色の封筒の宛名の部分に、鈴木という文字が書いてあるのが見えた。
川口君がそのまま鈴木君に封筒を渡そうとして、ヒュッと上に掲げる。周りにいる部員たちは、鈴木君をひやかしているみたいだ。
状況が何となくわかりはじめた。あれはラブレターだ。鈴木君宛に誰かが書いたものだ。一体誰だろう?同じサッカー部のマネージャーかもしれない。思い当たるふしはたくさんありすぎた。鼓動が更に早くなるのがわかった。
暫く2人でもめていたが、なかなか手紙を渡さない川口君に痺れをきらした鈴木君が、川口君を強く突き飛ばし、そして喧嘩が始まった。
決して広くない部室内でバタバタと2人が暴れだした。
次の瞬間、またしても視界がぐらりと揺れた。ロッカーに誰かがぶつかったのだろう。ユラ、ユラ、と左右に揺れたあと、次の衝撃で、私の視野はグルグルと回りだした。
吐き気がして眼を開けた。何回も前転をして、眼が回ってしまったように頭が重い。少し深呼吸をして、また瞳を閉じた。
天井が見えた。でも少しおかしい。円く切り取られた天井が見える。ここがロッカーの上じゃないことは確かだ。
その風景を何者かが遮った。一瞬見えた鈴木君の顔。その口の端からは血が出ていた。喧嘩はもう終わったらしい。
ほっとするのもつかの間、鈴木君の顔がユラユラと見えなくなっていく。どこかで見た光景。そうだ、プールの中だ、と思っていると、円く見えていた明かりは、どんどん小さくなっていった。
度重なる吐き気に、頭を抱えて暫く横になったまま眼を閉じていた。
そのまま眠ってしまったのだろう。どれくらい時間が経ったのだろうか?下の部屋では、母が夕飯を作っている気配がする。
慌てて瞳を閉じてみたが何も見えない。何度瞳を閉じても変わらない風景は、真っ暗な闇がそこにあるだけで、それが闇なのかただの瞼の裏側なのか、わからなくなってしまっていた。
ベッドから起き上がって、姿鏡に映った自分の顔を見て、言葉にならない悲鳴を上げた。
私の顔の左側の本来左目がある場所は、どす黒く変色し、ポカリと穴があいたままになっていた。
母には忘れ物をしたと告げ、足早に学校へ向かい、サッカー部の部室に向かった。鍵を開ける手が震えてしまって、なかなか鍵穴に鍵が入らない。
急いで扉を開けて、ロッカーの上を一通りさがすけれど、そこにはなかった。ロッカーの横にある洗面台の蛇口から、ピチョン、とひとつ、雫が垂れる音がした。
私の左目はどこにあるのだろう。早く探さなくては。
誰か、私の左目を知りませんか?
また、元の生活に戻ってしまった、という気が漠然とした。
そういえばテスト中だったのに、結局勉強も何もしていない現実に気づき、慌てて家を飛び出した。
テストが始まる前に少しでも脳みそに入れ込もうと、休み時間になると教科書を片手にノートとにらめっこをしていた。朝からこんな調子でせっぱ詰まっていたせいか、あまりにも集中していて、瞬きをするのを忘れていた。
あと一科目、というときの休み時間のことだった。一瞬、視野がグラリと揺れたような気がした。頭がガンガンと痛くなってくる。目が疲れたせいかと思い、こめかみのあたりを指で揉んでみた。
グググッと瞳が動く感じがした。あっ、と思った時には、もう左目はその位置になかった。音もなく外れ落ちた左目は、私の膝の上でぴくりとも動かず、留まっていた。
そんな状況でも私はやけに冷静だった。うつむいたままポケットからハンカチを取り出し、そっと左目を包み込むと、静かに席を立ち、友達に具合が悪いから保健室に行く、と告げて、足早に教室を去った。
保健の先生に、具合が悪いので少し寝かせて欲しいと言い、暫く静かにベッドで横になっていた。気持ちが逸る。不安な中でも私はまた、左目が外れてくれる ことを期待していたからだ。昨日部室で覗いた光景。私は鈴木君のことを、また、あんなふうに見てみたいと思ってしまっていた。
テストが終わる前に、部室に行かなくては。
保健の先生にやはり具合が良くないので早退したいと告げると、顔色が良くなかったせいか、先生もそうしなさい、と言ってくれた。もうテストが始まっているから担任の先生に伝えてもらうことにして、そのまま早退することにした。
私は教室に荷物を取りに行くこともせず、下駄箱に向かうわけでもなく、人目を避けながら、サッカー部の部室へと急いだ。ちょっと埃っぽい部室には、誰も居るはずもなく、少し散らかってはいるものの閑散としていた。
私は昨日のことを思い出しながら、椅子を動かしてロッカーの前へと移動させた。
たしか、この辺りだったな・・・、そういって隠しカメラを仕掛けるかのように位置を確認し、左目をそっとロッカーの上に置くと、何事もなかったかのように部室を後にした。
そろそろテストも終わって、サッカー部は放課後の練習に入るだろう、という時間になっていた。
家路を辿りながら、瞬きをするたびに、別の光景が頭の中を一瞬フラッシュバックする。瞬時に目の前で切り替わる世界に、眩暈を隠せないまま、なんとか家へと辿り着いた。
母はまだ帰ってきていない。自分の部屋に入り、制服を着替えて、ごろりとベッドに横になった。
天井を暫く見つめていた。このまま深く瞳を閉じれば、またあの光景が目の前に広がる。そんな当たり前でない事実が目の前にあるというのに、私はとても冷静だった。
壁にかかっている時計にちらりと視線を移す。辺りはほんのり暗くなってきていて、そろそろ部活も終わりの時刻に近づいていた。
私はそのままベッドの上で、ゆっくりと瞳を閉じた。暗闇は一瞬でグワッと眩しいほどの明かりが私の目の前に広がった。
部室の扉が開いた。ぞろぞろと部員が汗で光った顔をしながら入ってくる。匂いはしないけれど、匂いが見えるような気がするほど、熱気が瞳を通して伝わってきた。
疲れた顔をした鈴木君が視野に入ってきた。ドクリと心臓に血が流れた。逸る鼓動を抑えつつ、私はじっとそのまま彼を見続けた。
しばらくすると、川口君が鈴木君の近くに寄ってきて、白い封筒を見せた。鈴木君の表情が一瞬変わった。小さくてよく見えないけれど、可愛らしいピンク色の封筒の宛名の部分に、鈴木という文字が書いてあるのが見えた。
川口君がそのまま鈴木君に封筒を渡そうとして、ヒュッと上に掲げる。周りにいる部員たちは、鈴木君をひやかしているみたいだ。
状況が何となくわかりはじめた。あれはラブレターだ。鈴木君宛に誰かが書いたものだ。一体誰だろう?同じサッカー部のマネージャーかもしれない。思い当たるふしはたくさんありすぎた。鼓動が更に早くなるのがわかった。
暫く2人でもめていたが、なかなか手紙を渡さない川口君に痺れをきらした鈴木君が、川口君を強く突き飛ばし、そして喧嘩が始まった。
決して広くない部室内でバタバタと2人が暴れだした。
次の瞬間、またしても視界がぐらりと揺れた。ロッカーに誰かがぶつかったのだろう。ユラ、ユラ、と左右に揺れたあと、次の衝撃で、私の視野はグルグルと回りだした。
吐き気がして眼を開けた。何回も前転をして、眼が回ってしまったように頭が重い。少し深呼吸をして、また瞳を閉じた。
天井が見えた。でも少しおかしい。円く切り取られた天井が見える。ここがロッカーの上じゃないことは確かだ。
その風景を何者かが遮った。一瞬見えた鈴木君の顔。その口の端からは血が出ていた。喧嘩はもう終わったらしい。
ほっとするのもつかの間、鈴木君の顔がユラユラと見えなくなっていく。どこかで見た光景。そうだ、プールの中だ、と思っていると、円く見えていた明かりは、どんどん小さくなっていった。
度重なる吐き気に、頭を抱えて暫く横になったまま眼を閉じていた。
そのまま眠ってしまったのだろう。どれくらい時間が経ったのだろうか?下の部屋では、母が夕飯を作っている気配がする。
慌てて瞳を閉じてみたが何も見えない。何度瞳を閉じても変わらない風景は、真っ暗な闇がそこにあるだけで、それが闇なのかただの瞼の裏側なのか、わからなくなってしまっていた。
ベッドから起き上がって、姿鏡に映った自分の顔を見て、言葉にならない悲鳴を上げた。
私の顔の左側の本来左目がある場所は、どす黒く変色し、ポカリと穴があいたままになっていた。
母には忘れ物をしたと告げ、足早に学校へ向かい、サッカー部の部室に向かった。鍵を開ける手が震えてしまって、なかなか鍵穴に鍵が入らない。
急いで扉を開けて、ロッカーの上を一通りさがすけれど、そこにはなかった。ロッカーの横にある洗面台の蛇口から、ピチョン、とひとつ、雫が垂れる音がした。
私の左目はどこにあるのだろう。早く探さなくては。
誰か、私の左目を知りませんか?




