尋常じゃない病

一枚のレントゲン写真を見て、担当医の顔が一瞬曇ったのを、私は見逃さなかった。
診察室で、看護婦と担当医と僕の、その3人の間に、小さな沈黙が訪れた。

担当医は困惑しているようだ。検査結果をどう私に伝えようか、と、悩んでいるからだろう。
それもそのはず、私は医者こそならぬが東洋医学の世界では、気孔師として名を知らぬものがいないほどの実力の持ち主として、西洋医学の人間にも、それなりに知られている人物だからだ。

中国屈指の気孔師の元、その才能を見出され、3歳という若さで、初の弟子入りを認めらてから、天より授かったこの二の腕は、ゴッドハンドと呼ばれ、数々の病に侵されている人々を救ってきた。

私の手より、治療される人物は、患部が一度、ひどく悪化する。これは、所謂「好転反応」というもので、漢方の世界や、温泉治療など、身近なところでも、 皆が軽い体験はしているはずなのだが、私の気孔力は並外れたもので、その好転反応が強烈に現れる為、それにより急激に衰弱するという特徴が、大げさにメ ディアで取り上げられたことで、その名を知られたのだった。

世界中の人々を救ってきたほどの、実力のある私が、自分の体の変化に気づかないわけがなかった。

自分自身に気孔を施しつつ、生きてはきたが、このところ、疲れが取れず、やたらと喉が渇く。
そして、微熱が続き、体のふしぶしに痛みを感じていた。

「先生のような方に、実に言いにくい検査結果なのですが・・・。どうやら、癌のようですね。この辺りのレントゲンの影が・・・」
この一言で、私の病名は明らかとなった。
癌だ。
まさか、私が?と、疑いたくなる衝動を押さえつつ話を聞いてはいたが、それは上の空になっていた。

「それも、新種の癌のようです。こんな状態は、今まで見たことがありません。全身に均一に転移している状態です。すぐに精密検査を行い、治療に入らないと・・・」

最後まで説明を聞くことはなかった。戸惑い、呼び止める担当医と看護婦をよそに、診察室を後にした。

『癌』と聞いた瞬間に、何かが私の中で、弾け飛んだような気がした。
もう、先は長くないのだろう。もって半年、というところだ。
そんな風に考えると、悲しみを通り越して、何だか笑いが込み上げてきた。

私が何十年も苦労しつつ築き上げてきた実績とプライドが、いとも簡単に崩れ落ちていった。

3歳の頃から今日まで、気孔の世界で生きてきた。家族がいるわけでもなく、気孔以外の世界は、何もないと言っても過言ではなかった。そんな自分の人生 が、滑稽に思えて仕方がなかった。人生とは何なのだろう、などと、答えにならぬ答えを求め、頭の中に浮かんだのは、「抑制」というひとことだった。

次の日から、私は生まれ育った中国の地を離れ、世界を転々とし、彷徨う旅に出た。

行く先々では、どこからか金が沸いて出てきているのではないか、と思わせるほどの豪遊ぶりで、ギャンブルをし、女を買うことに金を使う日々を送りはじめた。
巷では、私に対して、メディアが盛んに何かを言っているようだったが、あえて目にしないようにし、耳にすることを避け、残り少ない命を切れた凧のように、あてもなく放浪し続けていた。

そんな中、医学界では彼の噂で持ちきりだった。

「まったく、あの気孔師、どこにいるんだろうか。精密検査の結果、とんでもない細胞の持ち主だってことがわかったというのに。」
「長年、継続して彼の気孔を受けると、どうやら細胞が強化されて、超人になれるらしい。」
「彼の細胞は、切り取っても死滅することなく再生し、生存し続けているとはな。」
「気孔によって活性化された細胞が、不老不死の体を作り出すなんて。」

どうやら尋常じゃない具合の悪さは、尋常じゃない好転反応だったらしい。

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