写真を撮るということ

photo by yamadauca
昔から写真が好きでいろいろ撮ってきた。
最初に購入したのはEOS1000Sのレンズキットの銀塩カメラ。

貧乏なのにフィルムで撮影しては現像に出して楽しんでいた。
うまく撮れるか撮れないか、手軽にわかる時代ではなかった。
現像があがるまで、ドキドキして楽しかった。

今は老舗のカメラ屋がフィルムカメラの製造から次々と撤退している。
ポラロイド社はポラロイドカメラとフィルムを廃止し、デジタルカメラの製造に力を入れている。

そしてコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)の普及が促進され、皆がたくさんの枚数の写真を撮り、現像に出さずに、自宅のパソコンでプリントアウトできるような時代になった。

それからカメラは特別なものではなく、特別を通り越して、とても身近なものになった。
携帯のお陰で。

携帯のカメラは急速に進化し、むしろカメラ付き携帯ではなく、通話機能付きカメラのような筐体もあるくらいだ。

携帯はレンズが進化し、軽量化、小型化が進み、さらにうまく撮れるようなツールが付属している。
この機能が今度はデジカメに付属するようになった。

どれがフィルムで撮影したものか、どれがデジタル加工したものか、素人にはわからない時代になった。

そこにブログが普及したことで、だれでも気軽に写真を撮ることが日常化された。


そこでわたしは考えた。
今までは携帯のカメラの性能はかなり気にしていた。ブログ用に手軽に外で写真を撮りたかったからだ。

でもやっぱり携帯のカメラにも限界がある。
そこでGRというプロ志向のコンパクトカメラを購入。
単焦点であるというのもあって、微妙に使用範囲が限られる。


そうやっていろいろやってみて、最近、たどり着いた結論。

デジタル一眼レフで写真を撮る、ということ。
あえて、わざわざ重いデジタルの一眼レフ、50mmのf1.4のレンズをつけたものを、持ち歩くことにした。

手軽に写真を撮ることを止めたのだ。

元々素人が撮っている写真。
趣味の範囲の写真。
だけれど、趣味だからこそ、何かにこだわりたかった。

だから自分に制限をつけた。
写真に撮りたいな、と思うものは、全て、これからは愛機で撮ることにしよう、と。

そう決めてカメラを構えるようになったら、面白いことに気づいた。

「消せばいいから」とバシャバシャと撮るようになってしまっていた自分に気がついたのだ。
とりあえず失敗がないように、何枚も撮っておく。シャッターを押す。
そこには特に考えもなく。

そういう撮り方をしていたなあと気づいた。
銀塩の頃は、ある程度考えないと、良い写真が撮れない。
良い写真どころか、ちゃんと映らないこともある。
だから、一枚一枚、構図を考えたり、露光調整をしたり、シャッター速度なんかも、一応考えていたような気がする。

だからこれからは、デジタルカメラでもPモードやシーン別モードなどで撮影はしないことにした。

いつもM(マニュアル)モード。たまにA(絞り優先)モード。
設定も細かくするように心がけて撮るようにした。

そうしたら、撮る瞬間も、撮る前も、撮った後も、写真を撮るというそのものの時間が、ゆっくり流れ出した。

ガチャリ、という重いシャッター音が終わるまで、わたしは息を止めていることが多くなった。
そうすると周りの空気がシンとする。空気が動かなくなる分、集中できる。

そうすることで撮った後の写真の選別や加工も、だんぜん楽になった。

だから写真は楽しい。
残すことが目的だけれど、その過程にもしっかり目的がある。

わたしにとって写真は、もっと身近になって、最も身近なものになったのだ。


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