大切なもの

20100608
昨年、祖母が亡くなった。

多分、こんなふうに単純に思っていた。
いつかはいろんなものがなくなっていくのはわかっていたけれど、私にそんなことが訪れるのは、もっと先のことなんだろう、と。

祖母が暮らす長野の田舎は私の第二の故郷だ。
小さいときから長い休みはほとんど田舎で過ごした。

中央アルプスの麓にある小さな村は、午前中は10時ぐらいにやっと陽があたりはじめる。夏は涼しく、冬はシンとした寒さの、そんな深い山々に囲まれた谷の村だ。

周りにあるのは、夏でも冷たすぎる深い川と、何層にも連なる深い山々と、平面に青々と広がる田んぼと、自給自足のためのいろいろな畑。

自宅には2本水道管が引かれていて、左の蛇口は山の水。右の蛇口は有料の水道水。山の井戸水はいつもキンと冷えていた。

かろうじて敷いてあるアスファルトは、夏は燃えるような暑さになる。
竹やぶのところはひんやりとしているから、近場はいつも裸足で遊んでいた。

田舎は農家だったので、祖父も祖母も昼間はいつもいなかった。
特に祖父は忙しい人だった。

今のようにゲームもあったけれど、田舎にはなんにも遊び道具がなかった。
私は当たり前のように、いつも自然と遊んでいて、そこに飽きるということはなかった。

遠くから、おばあちゃんが手を後ろに回して、こちらを見ている。
いつも頭には白い手ぬぐいをかぶり、割烹着とモンペ姿で農作業をしていた。

熱いアスファルトの上で、おばあちゃんの影がゆらゆらと蜃気楼のようにゆれていたのを思い出した。
会うたびに腰が曲がってきて、痩せてきて、小さくなっていった祖父と祖母。

東京に帰るたびに、かわいそうだと言って泣いた祖母。

最後は太陽も当たらない、空調が整備された病院で、少しずつ体が衰えていった。
生かされていた祖母に会いに行くたびに、わたしは泣きそうな気持ちでいっぱいだった。

祖母が息を引き取ったというのを母から聞かされたとき、よかった、と思った。
やっとこの不自由な体から開放されたんだ、と思った。

わたしが知っているおばあちゃんは、こんなところで寝たきりのおばあちゃんじゃない。
良くしゃべって、良くお酒を飲んで、カラオケが大好きで、野菜づくりが上手で、シワシワの顔で笑う、おばあちゃんしか知らない。

そんなふうに月日が流れて行くことが、どうしようもなくやるせなくなった。


そうして田舎に、今は祖父も祖母もいなくなった。
今も田舎はわたしにとって大切な場所だけれど、大切な場所からは、大切な風景や大切なひとがどんどんなくなっていく。

大切なものがなくなることが、近い未来に感じられる歳になってきたんだなと、そう思った。


お棺の中のおばあちゃんへ、最後の一言は「またね。すぐに逢えるよ。」


エントリーURL :

トラックバックURL :

バックナンバー

  • ミツルインターネットクリエイティブ
  • じるぶろぐ
  • NC24
  • ヤマダデザイン
  • #34